答えのない問題に対して、意見を持つこと。言っても何も変わらない。意見を持ったって意味がない。本当にそうでしょうか?
意見を持つことの意義
写真が仕上がらない
ここ最近、写真を撮って編集することにハマっています。でも、少し悩みもあります。
構図が決まらずシャッターが押せない。編集しようとしてもフィルム調にするのかしないのか、パキットさせるか柔らかく仕上げるか、彩度は上げるか下げるか、色味はどんな風にするか、何も決められず結局仕上がらない。
もっとセンスがあれば、もっと知識があれば“良い”写真がつくれる。単に、写真の知識や技術がなくて写真を完成させられないのだと思っていました。
決められないのは意見がないから
あっちの構図もいい、けどこっちの構図も良い。フィルム調にするのもいいけど、鮮明な写真も好き。彩度の高い写真も好きだけど、彩度の低い自然な写真も好き。
でも、1枚の写真を完成させようとしたとき、必要なのは「どちらか一つに決める」ことです。“彩度を上げる”と“彩度を下げる”はどちらも良いとしても、同時に両方を選ぶことはできません。
そして、「どちらか一つに決める」には、自分の意見が必要になります。どちらも好きというのが真実だとしても、「こっちが良い!」と意見を持たなければ、写真は仕上がらないからです。
より良い方を決める
プロの写真家のYouTubeやInstagramなどを見れば、簡単に“良い”写真に出会える時代です。動物を専門にしている人もいれば、風景を専門にする人、商品撮影、人物、スナップなど、それぞれの分野で活躍する人が写真の撮り方や編集の仕方を丁寧に解説してくれています。ありがたいことです。
どの写真もプロが撮影して編集している作品なので、とても素晴らしいです。でも、それぞれの写真の良さって違います。彩度が高くて良い写真もあれば、彩度が低くて良い写真もある。フィルムっぽい写真もあればそうでない写真もある。でも、どの写真も良い。
良いと思うのは悪いことではないですが、自分の意見を持つことは必要です。ここ最近で見た中で一番良いと思う写真を選ぶ。なぜ良いと思うのか言える。“良い”写真に正解はないので、どの写真を選んでも正解だし、どんな理由でも正解です。
唯一大切なのは「決める」ということだけです。
より正解はどちらか?
彩度を上げればどうなるか、下げればどうなるか。フィルム調にするにはどのように編集すればよいか。やってみれば正解がわかること、調べてみれば正解がわかることもあります。
いっぽうで、「彩度を上げるべきか?下げるべきか?」「フィルム調にするべきか?するべきでないか?」というような、答えのない問題が無限に生じるのが写真です。「どっちも良いから決められない」「どっちでもいいや、テキトウにしよ」と、考えることを放棄していては写真は完成しません。
正解と正解の分かれ道で、自分の頭で考えて、より正解だと思う方を選ぶ。
それって反応
良い写真を見ると、つい「スゲ~」と言っちゃいます。インスタやTwitterで見つけるとつい、いいねしちゃいます。自分の写真にいいねされると嬉しくなるので、人の投稿にもいいねします。
でも、「スゲ~」やいいねは写真に対する反応です。考えなくても、反射的にできてしまうのが反応です。
もちろん、インスタやTwitterを普段利用していて、多くの反応をもらうととても嬉しいです。どんどん反応してほしいし、これからも他人の投稿に対して反応しようと思います。
いっぽうで、反応とは別に、自分の意見を持つことも大事にしたいです。この写真の何が良いのか。他の人の写真と比較してどちらがより好きか、なぜそう思うのか。これが意見です。
もちろん、必ずしもそれをコメントしたり発言したりする必要があるとは思いませんが、それでも意見を持つことは大切だと考えます。
無限にある正解の中から
写真と同じで、人生において選択する場面は数えきれないほどあります。重大な選択もあれば、小さな選択もありますが、毎日、絶え間なく選択を迫られています。
夜ごはん、なべを食べてもいいし、パスタを食べてもいい。どちらも美味しいのでどちらを選んでも正解です。でも胃袋の大きさには限界があるので、より正解な方、より自分が食べたいと思うどちらかに決めなければいけません。
人が一日に決断できる数には限界があると言われてるので、ある程度ルーティン化することは大切だと考えますが、そのルーティンを決めるのは自分です。考えて、どうルーティン化するか選択する必要があります。
決めることは、意見を持つことです。意見を持つには考えることが必要になります。そして、考え抜いて選んだ意見というのは、選んだ理由を説明できます。考えずにテキトウに出した答えには説明の余地がありません。
自分はこの写真が良いと思った。考えた結果、特に色味と彩度が好みだとわかった。そして、その写真の色味や彩度に似せるように工夫してみた。だから、このような作品になった。
写真や絵などの“アート”に対して説明を求めるのはナンセンスだという意見もあるかと思いますが、私は自分が作った作品はある程度説明が可能だと考えます。芸術家は考え、無限の選択肢の中から選び、こだわりを持って作品を作っていると思うからです。
おわりに
意見を持つことを大事に
自分が選択したもの、選択した道について説明ができる。反応だけでなく、考えて意見を持つ。どちらも良いではなく、より良い方を決める。どちらも正解に思えたとしても、より正解だと思う方を選ぶ。
情報を得るための時間がないとか、専門的な知識がないとかは関係ありません。重大な決断を下さなければならないとき、時間がないとか専門家じゃないからなどの理由で選べないのでは困るからです。
普段から、限られた時間の中、限られた情報や知識の中で、専門家ではないけど自分の意見を持つ。そういった習慣を身に着けておけば、決断を迫られたとき必ず後悔しない選択ができます。
正解がないと分かっている問題に対しても、自分の意見を持つことを大事にしていきたいです。
自分の意見で生きていこう
今回の記事は、社会派ブロガーちきりんさんの著書、『自分の意見で生きていこう』を読みながら考えたこと兼アウトプットです。反応と意見の違いについてもっと詳しく知りたい方、自分の身の回りの問題以外に対して意見なんて持つ必要はないと考える方(⇐読む前の自分)に、ぜひご一読いただきたい本です。
正解
考えて考えて
納得いくまで考え抜いて出した答え。
人と一緒であっても違っても
誰に何と言われても
それは正解です。
(終)