SenooMika

管理と丁寧が苦手なのでミニマリスト

2倍3倍ではなく20倍30倍かも“トライアンドエラー”

結果を出す人はトライアンドエラーの数が違う

職場にて

最近、職場でパソコンの操作に関して分からないことがあり、IT担当の方に見てもらう機会がありました。部署(←普段はこんなにカッコよく呼ばない)が違うので遠隔操作でいろいろ試してくれたのですが、そこで気づいたことがありました。

 

パソコンに強い人ってトライアンドエラーの数が違う

 

私が「分からないなぁ…」と腕を組んで背もたれにもたれかかっているのと同じ3分間の間に、IT担当の方は5回以上トライします。「あれも違うか、じゃあこれかな?」と手を止めません。

 

才能がないのではなくトライ数が少ない

結果を出す人ってトライの数が異常なのですが、本人の中ではそのトライ数が普通。そしてエラーが起こっても、それが経験になって後に生きてくる。だから、必然的に普通の人の何倍もはやくそして確実に結果が出る。

 

私はIT系に詳しい方じゃないですが、実はIT系に詳しくないのは才能がないからではなく、トライアンドエラーの数が少ないからなのかもしれません。本当は努力不足であるのに運のせいにしてはいけません。努力不足を運のせいにすることは、IT系に詳しい人、結果を出した人に対して失礼です。

 

2倍3倍ではなく20倍30倍

結果を出す人って、凄いと言ってもせいぜい自分の2倍3倍ぐらいのトライ数だろう。と、なんとなく思っていましたが、実際には20倍とか30倍とかそれぐらいのトライをしているのではないかと最近思うようになりました。

 

結果を出せない自分と、結果を出す人の当たり前は想像を超える格差があると考えられます。

 

おわりに-尊敬する人がいることは重大な問題-

この世の中に尊敬する人とか凄いなと思う人がいるというのは、私にとって大きな問題です。自分がそのレベルに達していないことを意味するからです。だから本当は、尊敬しているその間にその人を超えるにはどうすればいいのか考えなければいけません。

 

もちろん、現実的にはいつまでも尊敬できる人とか凄い人は現れ続けるのだと思いますが、それでもその人に追いついてさらに追い越すにはどうすれば良いかということを日々考えて生きていたいです。

 

トライ数の“普通”を自分基準で考えていると危ないです。気づかないうちに差が生まれます。結果を出す人は自分の20倍30倍トライしているということを意識して行動していきたいです。

 

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結果が出るまでトライアンドエラー

 

 

(終)

【意見を持つことの意義】写真が仕上がらないのは意見がないから

答えのない問題に対して、意見を持つこと。言っても何も変わらない。意見を持ったって意味がない。本当にそうでしょうか?

意見を持つことの意義

写真が仕上がらない

ここ最近、写真を撮って編集することにハマっています。でも、少し悩みもあります。

 

構図が決まらずシャッターが押せない。編集しようとしてもフィルム調にするのかしないのか、パキットさせるか柔らかく仕上げるか、彩度は上げるか下げるか、色味はどんな風にするか、何も決められず結局仕上がらない。

 

もっとセンスがあれば、もっと知識があれば“良い”写真がつくれる。単に、写真の知識や技術がなくて写真を完成させられないのだと思っていました。

 

決められないのは意見がないから

あっちの構図もいい、けどこっちの構図も良い。フィルム調にするのもいいけど、鮮明な写真も好き。彩度の高い写真も好きだけど、彩度の低い自然な写真も好き。

 

でも、1枚の写真を完成させようとしたとき、必要なのは「どちらか一つに決める」ことです。“彩度を上げる”と“彩度を下げる”はどちらも良いとしても、同時に両方を選ぶことはできません。

 

そして、「どちらか一つに決める」には、自分の意見が必要になります。どちらも好きというのが真実だとしても、「こっちが良い!」と意見を持たなければ、写真は仕上がらないからです。

 

より良い方を決める

プロの写真家のYouTubeInstagramなどを見れば、簡単に“良い”写真に出会える時代です。動物を専門にしている人もいれば、風景を専門にする人、商品撮影、人物、スナップなど、それぞれの分野で活躍する人が写真の撮り方や編集の仕方を丁寧に解説してくれています。ありがたいことです。

 

どの写真もプロが撮影して編集している作品なので、とても素晴らしいです。でも、それぞれの写真の良さって違います。彩度が高くて良い写真もあれば、彩度が低くて良い写真もある。フィルムっぽい写真もあればそうでない写真もある。でも、どの写真も良い。

 

良いと思うのは悪いことではないですが、自分の意見を持つことは必要です。ここ最近で見た中で一番良いと思う写真を選ぶ。なぜ良いと思うのか言える。“良い”写真に正解はないので、どの写真を選んでも正解だし、どんな理由でも正解です。

 

唯一大切なのは「決める」ということだけです。

 

より正解はどちらか?

彩度を上げればどうなるか、下げればどうなるか。フィルム調にするにはどのように編集すればよいか。やってみれば正解がわかること、調べてみれば正解がわかることもあります。

 

いっぽうで、「彩度を上げるべきか?下げるべきか?」「フィルム調にするべきか?するべきでないか?」というような、答えのない問題が無限に生じるのが写真です。「どっちも良いから決められない」「どっちでもいいや、テキトウにしよ」と、考えることを放棄していては写真は完成しません。

 

正解と正解の分かれ道で、自分の頭で考えて、より正解だと思う方を選ぶ。

 

それって反応

良い写真を見ると、つい「スゲ~」と言っちゃいます。インスタやTwitterで見つけるとつい、いいねしちゃいます。自分の写真にいいねされると嬉しくなるので、人の投稿にもいいねします。

 

でも、「スゲ~」やいいねは写真に対する反応です。考えなくても、反射的にできてしまうのが反応です。

 

もちろん、インスタやTwitterを普段利用していて、多くの反応をもらうととても嬉しいです。どんどん反応してほしいし、これからも他人の投稿に対して反応しようと思います。

 

いっぽうで、反応とは別に、自分の意見を持つことも大事にしたいです。この写真の何が良いのか。他の人の写真と比較してどちらがより好きか、なぜそう思うのか。これが意見です。

 

もちろん、必ずしもそれをコメントしたり発言したりする必要があるとは思いませんが、それでも意見を持つことは大切だと考えます。

 

無限にある正解の中から

写真と同じで、人生において選択する場面は数えきれないほどあります。重大な選択もあれば、小さな選択もありますが、毎日、絶え間なく選択を迫られています。

 

夜ごはん、なべを食べてもいいし、パスタを食べてもいい。どちらも美味しいのでどちらを選んでも正解です。でも胃袋の大きさには限界があるので、より正解な方、より自分が食べたいと思うどちらかに決めなければいけません。

 

人が一日に決断できる数には限界があると言われてるので、ある程度ルーティン化することは大切だと考えますが、そのルーティンを決めるのは自分です。考えて、どうルーティン化するか選択する必要があります。

 

決めることは、意見を持つことです。意見を持つには考えることが必要になります。そして、考え抜いて選んだ意見というのは、選んだ理由を説明できます。考えずにテキトウに出した答えには説明の余地がありません。

 

自分はこの写真が良いと思った。考えた結果、特に色味と彩度が好みだとわかった。そして、その写真の色味や彩度に似せるように工夫してみた。だから、このような作品になった。

 

写真や絵などの“アート”に対して説明を求めるのはナンセンスだという意見もあるかと思いますが、私は自分が作った作品はある程度説明が可能だと考えます。芸術家は考え、無限の選択肢の中から選び、こだわりを持って作品を作っていると思うからです。

 

おわりに

意見を持つことを大事に

自分が選択したもの、選択した道について説明ができる。反応だけでなく、考えて意見を持つ。どちらも良いではなく、より良い方を決める。どちらも正解に思えたとしても、より正解だと思う方を選ぶ。

 

情報を得るための時間がないとか、専門的な知識がないとかは関係ありません。重大な決断を下さなければならないとき、時間がないとか専門家じゃないからなどの理由で選べないのでは困るからです。

 

普段から、限られた時間の中、限られた情報や知識の中で、専門家ではないけど自分の意見を持つ。そういった習慣を身に着けておけば、決断を迫られたとき必ず後悔しない選択ができます。

 

正解がないと分かっている問題に対しても、自分の意見を持つことを大事にしていきたいです。

 

自分の意見で生きていこう

今回の記事は、社会派ブロガーちきりんさんの著書、『自分の意見で生きていこう』を読みながら考えたこと兼アウトプットです。反応と意見の違いについてもっと詳しく知りたい方、自分の身の回りの問題以外に対して意見なんて持つ必要はないと考える方(⇐読む前の自分)に、ぜひご一読いただきたい本です。

正解

考えて考えて

 

納得いくまで考え抜いて出した答え。

 

人と一緒であっても違っても

 

誰に何と言われても

 

それは正解です。

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(終)

 

 

DIE WITH 2500万円/ダイウィズゼロを読みながら【#せのおメモ】

自分が検索するためのワードをつくっておくと、後から振り返りやすいということに気が付きました。特にTwitterで有効です。

この記事は、ビル・パーキンス著・児島修訳『DIE WITH ZERO(ダイヤモンド社)』を読みながらのメモになります。

※本書は翻訳されたものであり、著者はアメリカ生まれ。日本の年金や税金などの制度が考慮されてない可能性が高いです。

※一通り記事を書き終えたところで気が付きましたが、運用益にかかる税金を考慮するのを忘れていました。

※ブログ主(自分)と20代に向けたメモです

概要とメモ

人生を終えるときにお金持ちになってもしかたがない

死ぬ間際(老後後期)というのは、若いときよりも圧倒的に体力もなく思考も鈍くなっています。旅行ができるわけでもないし、活発に人に会いに行くことも難しいです。また、外食やショッピングなども億劫になると想像できます。

 

したがって、医療費やデイサービスなどの費用が加わるとしても、老後は想像しているよりお金を使わないと著者も言っています。そして、高額な医療を受ける際には、国からの補助があるので、その辺りの保障も加味して必要な老後資産を形成する必要があります。

金・健康・時間のバランスは年齢で変化する

お金と健康と時間のバランスは年齢によって変化していきます。

 

[若齢]

お金× 健康〇 時間〇

 

[中年]

お金△ 健康△ 時間△

 

[高齢]

お金〇 健康× 時間〇

 

若いときにあるお金はできる限り、体力と時間があるうちにしかできない経験に使うべきという著者であるビル・パーキンスさんはいいます。

 

迷った際には、

 

未来へ先送りするべきではない経験か

 

or

 

未来へ先送りしても問題がない経験か

 

で、判断するのが良いです。

 

先送りしても問題がない経験と判断したらなら、その分のお金は資産形成に回す、あるいは先送りすべきでない経験に回すのが良いです。

 

健康維持・増進への投資

先ほどの表で、年齢を重ねるにつれて

 

健康:〇→△→×

 

に変化すると言いました。

 

もしも、

 

健康:〇→〇→〇

 

で維持できるならば、話は変わってきます。数年後も健康状態に変化がない、あるいは今より状態が良ければ、先送りしても問題ない経験が増えるからです。その分、資産形成や先送りできない経験にお金を費やせます。

 

また、身体や精神の健康というのは、判断力や決断力に影響を及ぼします。判断・決断というのは、自分の人生を生きる上で最も重要なものです。健康のためにお金を使うというのは、どの年齢でも重視すべきです。

 

記憶の配当

20歳での思い出は、30歳でも50歳でも100歳でも振り返ることができます。若いときに思い出をたくさん作るほど、人生で総合すると喜びポイントが多く得られると著者は言います。また喜びポイントに限らず、若いときに経験をたくさんするほど、記憶の配当は大きくなるといいます。

 

確かに振り返ってみると、学校での人間関係や部活動における努力の仕方、勉強の仕方やお金の使い方に至るまで、過去の失敗はすべて今の重要な決断材料になっています。これらの経験を幼少期からしてるのと大人になってからするのとでは、その配当の量は全く異ったはずです。

 

若いときに大きな失敗をしても、長期的に見ればプラスの結果を得られると著者はいいます。若ければ若いほど、失敗のマイナスを取り返すチャンスも長いし、失敗の記憶がプラスの結果を生む可能性も高くなります。

 

使わなければタダ働き同然

使い切れないお金を稼ぐために費やした時間は、無駄になります。もちろん、お金を増やすことが生きがいの人や、お金にならなくても今の仕事が生きがいだという人は別です。

 

そうではない人にとっては、使わないお金を稼ぐ労力は無駄になります。無駄にしないためには、労働を減らす、あるいは稼いだお金を人生を終えるまでに使いきる必要があります。

 

『年収90万で東京ハッピーライフ(筑摩書房)』の著者である大原扁理さんは、労働を減らす選択をしています。労働の時間を減らすと、必然的に時間が生まれます。

 

[労働を減らす]

お金× 健康〇 時間〇

 

お金がなくても、時間と健康な身体があればできる経験というものもあります。大原さんの場合は、自炊をしたり読書したり、お金がかからないことで経験を積んでいます。そして、これらの経験がプラスに転じているというのは、本を何冊も出版している事実からも明らかです。

もちろん、大原さんの生き方にネガティブな感情を抱く人もいるとは思います。そのような人は、働くのが良いです。事実、私も大原さんの生き方に半分憧れを抱きつつも、自分はその生活には耐えられないと思う面があります。お金はないけど時間がありすぎるというのは大変なことだからです。

 

ならば、ダイウィズゼロ。死ぬまでに使い切れるだけ稼ぎ、使い切るプランを考えていく必要があります。使い切れなければ、タダ働きです。

 

老後の資産は勢いよくは減らない

老後2000万円問題、今だと3000万円は用意した方が良いと言われます。

 

60歳~65歳の国民年金が出るまでの間で500万円使うとします。その後、65歳~95歳までかけて1500万円を取り崩すと、月々取り崩せる金額は以下のような計算になります。

 

1500万円÷30年÷12か月=約4万1600円

 

……ではありません(笑)

 

本書にこんなことが書いてあります。

物価上昇以上の利息が常に3%の場合

 55歳の時点で、資産が21万2000ドルあるとする。最初の1年間に生活費として1万2000ドルを使ったとすると、1年後に資産はいくら残るのか?手元に残るのは20万ドルちょうどではなく、約20万6000ドルである。年初に1万2000ドルと差し引いたとすると、残りの20万ドルが3%の利息となる6000ドルを産み出すからだ。

 

取り崩した分減る→残りの資産に利息がついてちょっと増える→取り崩した分減る→残りの資産に利息がついてちょっと増える→……

 

を繰り返すことになるので、思っているよりも勢いよく資産は減りません。1500万円の内45万円を取り崩しても、実際に減るのは約1万3500円です。残りの1455万円に利息(3%で計算)がつくからです。

 

ちなみに、取り崩し始める1年前までに1500万円を準備し、毎年利息分の45万円を取り崩せば資産は減らない計算になります。3000万円準備できれば、月々90万円取り崩すことができます。※利回り3%の場合

 

さらにこれでは、1500万円、あるいは3000万円が人生を終えるまでに残ってしまうので、実際はもう少し使えることになります。

 

国民年金が6,5000円月々受給できるとすれば、合わせて月々約13万円家賃・生活費分ぐらいは賄えます。企業勤めで厚生年金が受給できれば、医療費分ほどの余裕はできそうです。

 

ちょっと余裕を持って、65歳までに3000万円準備する。65歳以降は年90万円取り崩す。この場合の老後の月々の生活費は以下になります。

 

7万5000円(資産取り崩し)+6万5000円(国民年金)+?(厚生年金)=14万円+厚生年金

 

厚生年金は収めた金額によって受給額にかなり幅があるため「?」にしています。自営業の人がiDeCoのような年金制度を利用するのは、厚生年金がもらえないからです。自営業の場合年額81万6000円の積み立てが上限なので、満額を年利3%で30年満額積み立てると資産は約3960万円になります。3000万円を差し引くと、厚生年金の代わりに960万円が資産として加わります。

 

30年間、IDeCoで満額の年間81万6千円で積み立て運用した場合、受け取れる金額の合計は以下のようになります。

 

7万5000円(IDeCo3000万円から取り崩し)+6万5000円(国民年金)+2万4000円(IDeCo960万円取り崩し)=16万4000円

 

豪遊さえしなければ、十分生きていけます。

 

そして、大事なのはこれではダイウィズゼロが達成できないということです。使い切れていないので。

 

とはいえ、資産が減っていくのは心理的に非常に不安です。人間、希望を失うと死んでしまうといいます。減っていく資産を見て希望を失い、寿命が短くなるというのは良くないです。

 

老後必要な金融資産は、土地などの相続できる資産、退職金などの資産も考慮する必要があります。自分の年齢や労働歴、親の資産などで大きく変わります。

 

長寿年金保険制度

著者は長寿年金制度の利用を推奨しています。これは、人生を終える前に資産が底を尽きる不安を解消するためのものです。先ほど書いたように、人は希望を失うと死にます。生きている間は困らないだけのお金が入ってくる。その安心感は長生きするうえでは必要です。

 

たとえばですが、年間保険料75万円、50歳~70歳まで20年間の支払いで、年間60万円の一生涯の年金受給が保証されるとします。

 

その場合、50歳までに2500万円を準備できれば、利息分の75万円で長寿年金を支払うことができます。別途、20年で500万円増やす必要がありますが、月々2万円弱ほどで達成できます。※利息3%で計算 

 

資産の取り崩しは年間75万円、月々6万2500円になるので

 

6万2500円(資産取り崩し)+6万5000円(国民年金)+5万(長寿年金)=17万7500円

 

ちなみに、23歳、50歳まで残り27年、年利3%で運用した場合、月々5万円の積み立てで、ほぼ2500万円をつくれる計算になります。

 

ただし、長寿年金制度を利用せずに50歳〜70歳までの20年間2500万円を保有した場合、利回り3%で約4500万円になります。そちらの場合、毎年135万円取り崩しても資産は減りません。135万円÷12ヶ月=月々11万2500円、国民年金を含めると、月々17万7500円になります。

 

資産運用と長寿年金に大きな差はないといえます。ただし、お金の価値が変化することをふまえると長寿年金よりも金融資産保有の方が良いといえそうです。

 

資産のピークは45歳~60歳

著者は、人生を最適化するようにお金を使うためには、45歳~60歳をピークに資産を減らしていくべきだと言います。

 

たしかに、50歳までに2500万円貯蓄できた段階で貯蓄のペースは落とすべきです。とはいえ、さすがに減らしていくのは心理的負担が大きいかなと思います。

 

先ほど、貯めたお金を使わなければただ働同然といいました。たとえば、27年間、月々5万円積み立て、2500万円まで資産形成したとします。時給1500円とすると2500万円を貯めるのにどれくらい労働することになるでしょうか?

 

5万円×12ヶ月×27年間÷1500円(時給)=1350日分の労働※1日8時間で計算

 

約3年半、毎日働いた分と引き換えに、2500万円を運用することによる利息と、資産が減らない安心感を手に入れることができる計算になります。

 

50歳〜90歳までの30年間で2500万円が生み出す利息というのは、年利3%分毎年取り崩していくとして、合計すると2250万円です。

 

もちろん、若い時の3年半と老後の3年半を同等に扱うべきとは思いませんが、それでも資産に余裕があるという安心感で寿命(健康寿命)が5年延びるなら、2500万円を残して人生を終える選択もありだと私は思います。

 

おわりに

まとめ

 

ポイント

・人生を終えるときにお金持ちになっても仕方ない(旅行に行けるのは体力があるとき)

・金・健康・時間のバランスは年齢で変化する(3辺が大きくなるほど自由さが増す)

・健康維持・増進に投資する(健康寿命を延ばす)

・記憶の配当は若いときに経験するほど大きい(リスクは若いときにとる)

・使わなければタダ働き(利息・安心感とのバランスが大事)

・老後の資産は勢いよく減らない(残高の利息)

・長寿年金保険制度(資産運用を行うか、長寿年金保険に加入するか)

FIREのためには

ちなみに最近はやりのFIRE(ファイナンシャルインディペンデンスリタイアアーリー)を達成するなら、本書によると

 

年間支出×人生の残りの年数×0.7

 

これぐらい最低あると良いみたいです。日本の制度を考慮する必要はありますが、簡単な計算である程度は必要な資産が計算できます。

 

意外と暇に耐えられない

最近ではセミリタイア(サイドFIRE)という、労働は減らすけどゼロにはしない、あるいは労働しなくても資産的には大丈夫だけど好きな仕事を続けるという選択が流行っています。

 

私もFIREには憧れがありますが、かなり暇であった大学時代が苦痛であったことを思うと、たとえ資産に余裕ができたとしても一生働くと思います。暇に耐える能力を多くの人は持っていません。お金が必要だからではなく、働きたいから働くが理想です。

 

DIE WITH 2500万円

目指せ、

 

DIE WITH 2500万円

 

奨学金返済車5台分くらいあるとか言えない……()

 

(終)

 

【恵方巻きの巻】積極的に季節の行事を味わってみる

恵方巻きにとって最大の敵は他人

 

周りに人がいなければ恵方巻きを無言で食べ切るなんて余裕です。

 

いつも通り、何も喋らずに食べればいい。

 

それだけのことです。

 

いつも通りの食事です。

 

恵方巻を食べていく

いざ、食す

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パクっと一口。

 

スーパーで売れ残った恵方巻き。半額になって300円。

 

色んな具材が入っていて美味しい。 

 

そしてボリュームも凄い。

 

食べ進める

3分の1ほど食べ終わる。

 

ボリュームが凄い。

 

今回の恵方巻で、北だと思っていた方角が北北西だったということを知った。次の住まいは、北にドア、南に窓があることが条件だな。

 

そんなことを思いながら3分の2、食べ終わる。

 

やはりボリュームが凄い。

 

限界が近いなぁと思いながらも、もちろん明日まで無言で過ごすわけにはいかないので、ゴールに向かう。

 

普段、いかに独り言を放ち続けているかがよく分かる。

 

今日は食器を洗わなくていい。歯を磨いて寝るだけ。楽だなぁ。卵が入ってるからタンパク質も摂れるし、きゅうりもキノコもその他いろいろ入ってる。一本でお腹いっぱい。コスパ良すぎでしょ、半額の恵方巻き。

 

そんなことを考えながら食していると、つい喋りそうになってしまう。

 

いつもはYouTubeをつけながらご飯を食べるけど、今日はYouTubeは一旦停止。スマホも見ないように。

 

つい喋るのを防ぐために。

 

季節の行事

非日常的食事

YouTubeを消し

 

スマホを見ず

 

いつもとは違う方向を向き

 

独り言を漏らさず

 

限界が近づいても頑張って食べきる

 

恵方巻とは、非日常的食事である。

 

おわりに

日々、何気なく過ごしていると、節分が近づいていることにすらきず気づけません。

 

朝、YouTubeをつけて、ローランドさんが恵方巻を食べてたことにより、2月3日と気づきました。

 

もちろん、2月3日に恵方巻を食べることは国民の義務ではありません。豆まきとかバレンタインとかクリスマスとかがなくならないのは、お店の売り上げに関わるからだと聞いたことがあります。

 

でも、季節の行事というのは、お店にとっても楽しむ側にとっても「Win-Win」だと思っています。楽しむことにお金を使うことは悪いことではないですし、楽しむことにお金を使わせるのは悪いことではありません。

 

しかしながら、独りで、北北西を向き、無言で、YouTubeスマホも見ず、限界が近づいても最後まで一本食べきる。これは、楽しいのか。

 

食べる前はそんなことを思いましたが、実際にやってみると、普通の食事が非日常的な、不思議な気分の食事に。300円で味わえる感覚。一人豆まきもしておけばよかったと少し後悔しています(笑)

 

季節の行事も、毎年新しい学びがあるように思います。1年に一回くる節分の日。でも、毎年、環境も違えば自分も成長しています。節分という日は同じでも、同じ気分は味わえません。新しい気づきがあるのも、季節の行事の楽しみの一つです。

 

これからも、(すべてとはいかないですが)積極的に季節の行事に参加(?)していきたいと思います。

 

以上、恵方巻きの巻】でした。

 

(終)

 

 

人はスマホでコードを読む【スマホの外カメラを封印してみた結果】

先月6日、スマホのカメラ(外)やめてみよぉ~」と思って、ケース全体をマスキングテープで覆ってしまいました。

外カメラ封印

外カメラを封印した状態

www.katatsumurider.com

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↑ちなみにこんな状態です。

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↑こちらが通常版(カメラを覆ってない状態)のiPhoneです。

 

おすすめ度

3週間ほどスマホの外カメラを封印してみてして、外カメラ封印のおすすめ度は

 

・・・デデデン‼

 

★★☆☆☆

 

 

星2つですね。

 

3つのメリット-外カメラ封印生活を実践してみて

メリット①インスタストーリーの投稿頻度が減る

私は結構インスタのストーリーを上げすぎる癖があります。何か起こると、誰かにとって有益かとか他の人にとって面白いかとか深く考えずに、欲求に負けてすぐ上げちゃいます。

 

他の人の生活って興味なくはない。誰がどこで遊んだとか誰と会ったとか何を食べたとかって気にはなる。だけど、その情報に意味があるかと言われればない。

 

とはいえ、ほんとに行ける範囲にあるお店とか場所だと、知人のストーリー参考にすることもあるかな。

 

ストーリーを上げるまでには撮った写真を編集して、どうすれば面白い投稿になるかなとちょっとだけ考える時間があって、文字の周りに色を付けるのか、真ん中に文字を置くか右端にするかとかなんだかんだ10分以上は時間を使っている。

 

10分あれば筋トレ1メニューぐらい増やせる。

 

投稿を減らすにこしたことはないと思っていたので、外カメラを使えなくして投稿頻度が減ったというのは、メリットだと言えます。

 

メリット②その場の状況を味わえる

スマホで写真を撮る」という行為を挟むことが、その場の状況を味わうことを阻害しているように感じることがあります。

 

確かに、写真を見ながらその時の体験とか感情を思い出すことはありますが、つい喋りたくなるような色濃い思い出って写真にのこってなくても鮮明に思い出せます。

 

画像で鮮明に記録するよりも、五感をフルに使って、記憶する思い出をより鮮明なものにする方が良いかなと思います。

 

特別な状況下でスマホのカメラに少しでも意識がいくというのは、思い出の記憶を阻害する要因に少なからずなっていると思います。

 

メリット③写真フォルダー内の写真増加量が格段に減る

 

私の場合、基本的に過去は全部黒歴史になります。

 

成長している証拠なのでそういうものだと思っています。ですが、写真を見るとその時の幼い考えとか、行動とかが簡単に思い出せてしまいます。簡単に思い出せない方が良い過去というのもあるのが現実です(笑)

 

楽しい思い出の写真のはずなのに、なぜかその写真を見るとモヤモヤする。

 

たぶん、写真に写る楽しい思い出の背後にあるネガティブな記憶が、写真を見返すと一緒に思い起こされるからだと思います。

 

頭で整理して記憶された思い出は、楽しい思い出は楽しく、苦い思い出は苦い。感情別に記憶されている感じがします。

 

薄れるはずの苦い思い出もいつまでも残るのが写真。そういった意味では、振り返る写真は少ない方が良いかなと思います。

 

3つのデメリット-外カメラ封印生活を実践してみて

デメリット①QRコードが読めない

 

今回の検証で得た大きな学びです。

 

現代人ってスマホでコードを読みます。

 

今回、外カメラを封印した期間で、ケースを外してコードを読んだのは以下の場面。

・メルカリ出品時の商品バーコード

郵貯認証のQRコード

・保険継続手続きのQRコード

・利用可能店を見るためのQRコード

 

そして、内カメでコードは読めない。

 

意識はしていませんでしたが、意外と外カメラを利用してコードを読んでいるんだということに気が付きました。

 

デメリット②カメラの横のライトが使えない

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ケースごとマスキングテープで覆っていることにより、カメラの横にあるライトも使えない状況になってしまいました。

 

使えないと言ってもマスキングテープなのでほんのりは明るくなりますが、スマホのライトを使うときって「ほんのり」照らしたいときではないです。ガッツリ明るくしたいです(笑)

 

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カメラ封印時のライト照射の画像です。マスキングテープのピンク色の部分がライトとかぶっているので、ほんのり暖色になってます。とにかく暗いです(笑)

 

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こちはが通常時(ケースを外した状態)のライト照射の画像です。しっかりとライトの役割を果たしています。iPhoneのライトって結構明るいです。

 

カメラの横にあるライトが使えないというのは一つデメリットに感じました。

 

デメリット③たまに外カメでどうしても撮りたい

 

「○○持ってたら写メって~!」という場面があります。

 

これはさすがに外カメラを使いたい場面です。

 

他には

 

「この書類いるかな~取っとくのは嫌だけど画像で残しときたいな~」っていう場面もありました。これも、外カメラを使いたい場面です。

 

まぁそんな時はケースを外して撮ればいいのです(笑)

 

おわりに

不便ではあるけど困らない

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外カメラが使えないと、不便と言えば不便です。

 

だけど、決して詰むことはない。

 

時間までに目的地に行かなくてはならない状況でGoogleマップが使えないと詰みますが、外カメラが使いたい状況で外カメラが使えなくて詰むことはありません。

 

ほとんどは内カメで十分賄えます。

 

ただ1点、QRコードが読めないのは困ります。

 

そんな時はケースを外せばよいです。

 

外カメラはあると便利ですが、ないと詰むほどのものではない。

 

そういうモノみたいです。

 

 

(終)

 

【妹尾武治】未来は決まっており、自分の意志など存在しない〈読書メモ〉

読書メモ。

著書

妹尾武治著【未来は決まっており、自分の意志など存在しない。-心理学的決定論-】

 

 

ちなみに、本書を手に取った理由は名字が同じだったから(本名バレ不可避)

内容とメモ

※S.みかが興味を持った内容とそれに関するメモ

つまり、まず脳が無意識に動き出し、その後、動かそうという意志が形成され、最後に実際に手が動くというのが、正しい順序だったのである。意志が形成されるよりも先に、脳は動いているのである。p.22

 

×意志→脳が司令

◯脳が司令→意志

 

聞いたことはあったけど、改めて聞いても驚く事実。

 

意志や意識には脳が関係していると考えるのは止めよう。「意識は万物にある」。p.41

 

脳のある動物にのみ意志や意識があるのだと思ってましたが、そうではないよう。

 

ジャイ子が本名だとすれば、ジャイアンの方が実は後から決まった可能性が指摘できる。「ジャイ子のアンちゃん=ジャイアン」説である。…略…そもそもセワシが未来から来たのもジャイ子との結婚をなかったことにするため。全ての始まりに存在するジャイ子。このようにジャイ子の周辺は、非常に香ばしい。p.46

 

ジャイ子って、そんなに重要な人物だったのか。

 

歴史とは不可避で不可変な流れであり、やはりある種の決定論ではないのかと思う。p.48

 

共感。過去に関してはもともとそうなると決まっていたのだと思ってる。

 

意志で作っているように見えても、すべての行動は環境からの刺激に対する、反射なのである。p.53

 

一度は考えたことあるけど違うと思いたかった。でもやっぱり、そうらしい。全て環境からの刺激に対する反射。

 

少数派の人々を社会に内包する仕組みp.97

 

少数派の人々を社会に内包する仕組みづくり。実現可能か否かの答えではなく、どうすればすべての人々が社会に内包されるような仕組みをつくれるのかを考える必要がある。

 

しかし、それが1000億個のオーダーで集まった時に生じる「心」については、どうしてそれが生まれるのか何もわかっていない。一つ一つは分かっているはずなのに、それが膨大な数、集積するとブラックボックスが生まれてしまうのである。p.112

 

時計のこの歯車とこの歯車を組み合わせればうまくまわる。その歯車同士が噛みあう過程で「心」が生まれる。人間に「心」があると考えるならば、時計にも「心」がある可能性も否定できない。ということか(笑)

 

知覚世界と物理世界p.131

 

主観的世界と客観的世界って言語化してたけど、知覚世界と物理世界っていう言い方カッコいい。

 

今度から使お。

 

しかし、5年後の1962年、ヴィリガリー自身が「あの発表は嘘だった!」と告白している。彼は、当時自身が経営する広告会社の業績不振に悩んでおり、起死回生の一発として、サブリミナルカットの話をゼロから捏造したのだ。p.140 

 

嘘だったのか!?

 

彼らも現代人と同じように花が死者を悼む、美しいものであると思っていたという前提を敷かねば、このエピソード自体が成立しない。p.151

 

確かに。人間の感性が時代とともに変化しないという前提がないと成り立たない。

 

観察によって、世界のあり方が初めて固まる。平行宇宙のように観察がなされるまで、「世界は決まっていない」。世界は見る人がいて初めて決まるのだ。こんな不確実で現実離れした話が、最新の科学、量子論の世界観だ。p.176

 

今、知覚できる範囲の世界しか実は存在しない。部屋の外に世界は存在しない。寝ている間世界は存在しない。そうではないと信じてるけどそうなのかも。

 

実際に発表から論文になるまで10年ほどの時間がかかったそうである。p.198

 

10年も何かを証明するために続けるって凄い。

 

機能は場所では説明できない。p.205

 

このパンは〇〇県の工場で生産されています。これだけの情報では、原材料は何で(さらにはその小麦はどのように育って)、どのような工程で作られているのか何もわからない。

 

人間の脳については、どれだけ研究を重ねても生産工場の場所(脳が処理する場所)と完成したパン(意識)しかわからない。

 

という感じかな?

 

情報の統合とは、1+1が2以上になるような、情報の足し合わせ、すなわち情報の解釈のことを指し、意識とは情報を解釈するためのアルゴリズムであるとされている。p.209

 

見る・聞く・匂う・食べる・触る、などして情報を得る。

 

情報を足し合わせて解釈する。

 

解釈するためのアルゴリズム(やり方、考え方、手順)が意識。

 

異なる情報に多く触れている人は、同じモノを見たり聞いたりしても“意識”が違う。逆も然り。

 

意識とはアルゴリズム……。

 

(本書、難しいな……)

 

デュシャンの「泉」の芸術的な価値は多様であり、とても一言ではまとめられない。しかし、あえて私なりに(素人が)簡単に説明するならば、アートのアート性は物・物体に縛られず「概念」「考え方(コンセプト)」こそに本質があり、物体それそのものが美しくなくとも、そこに投影された概念・考え方が面白いものであれば、それは「美」として成立する、という発想の革命が、「泉」という作品だったと思う。pp.259-260

 

一言でまとめられないといいながらも、デュシャンの「泉」の解釈、芸術の本質、どちらの説明も適格。

 

デュシャン「階段を降りる裸体No.2」p.262

 

当たり前と言えば当たり前だけど、デュシャンの作品、トイレだけじゃなかったのか(笑)

 

トイレ(泉)の印象が強すぎたけど、ぜひ「階段を降りる裸体No.2」を生で見てみたい。

 

命とは、情報(つまり意識)が人々の記憶から完全に消え去られるまで失われないのである。p.281

 

アートとは、命(情報)を物体に刻むことによって、永遠の生を可能にすること。作品が鑑賞される限り著者の命は失われない。と考えてた。

 

ちょっと違うのかもしれない。作品それ自体が鑑賞されなくても人々の記憶に残る、デュシャンはアーティスト。この世界にある物質を利用して、命(情報)を刻み、永遠(情報を読み取れる人がいる限りではあるけど)の生を可能にするのがアート。

 

(「物質を利用する」の解釈の余地が広すぎるんだよなぁ。アート概念、やっぱり深い……。)

 

意識とは、情報(とその統合)のことであり、万物に様々なレベルの意識が宿っている。p.284

 

時計にも宿ってるのかなぁ。

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意識とは情報であり、生命とはその情報を増やすために配置された「なにがしか」(存在)である。p.285

 

誰が何のために情報(意識)を増やそうとしているのか。

 

それに意味はあるのか。

 

何かしら(神?)にとってのゲームに過ぎないのか。

 

まとめ

心理学へのイメージ

この本を読んで、“心理学”という分野へのイメージがかなり変わったかな。

 

臨床系のイメージが強かったけど、実験系の分野でもあるんだと。

 

良い意味で、実用書ではない。

 

情報

 

おわりに

私が本書を手にすることは、138億年前から決まっていた。

 

らしい

 

(終)

※本記事で抜粋した内容は、S.みかが個人的に残しておきたいと思った内容です。著者が伝えたい内容が抜けている可能性があります。

※全力で本書を理解しようと努力していますが、解釈が誤っている可能性があります。

 

 

 

スマホの外カメラやめてみる

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私S.みかは初めての場所に行ったとか、久しぶりに自炊をしたとか、本当に些細なことで写真を撮ってしまいがちです。そういう些細なことほど、記憶に残したいものです。でも、撮っちゃいます。そこに外カメラがついたスマホがあるから。

外カメラを使えないように

マスキングテープで覆う

そう、

 

スマホに外カメがついているのが良くないんです。

 

外カメの性能が良すぎるのが良くないんです。

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カメラ部分までマスキングテープで覆ってしまえばいいんです(笑)

 

便利すぎる

過剰な機能は人間をダメにすることもあります。スマートフォンは便利な反面、多くの悪影響を人間に及ぼしているというのは有名な話です。スマホに自分の行動をコントロールされるのではなく、自分がスマホのコントロールをしていかないといけない。じゃないと、スマホの奴隷と化してしまいます。そんな意見に、私も賛同します。

 

粘着部分はスマホに触れないように

ちなみに、カメラのところはテープの粘着部分が付着しないよう、マスキングテープを裏から貼り合わせてあります。美しいiPhone本体を汚すのは嫌なので。結構オシャレな感じにできたんじゃないでしょうか。

 

前提条件

前提条件として、私が一眼レフカメラを所有しているということが肝になります。パシャパシャ簡単に撮影できる環境を断つことで、一枚一枚丁寧に、綺麗にカメラで残すようになるのではという考えがあります。

 

そして、一眼レフカメラで綺麗に残すほどでもない写真、スマホを頑張って裏返しながら内カメで撮るまでもない写真は、写真フォルダーに残らなくなります。

 

見えないところを整理する

見えるところだけ

小学生時代の私は、親に「部屋を片付けなさい」と言われたら、とりあえず引き出しや収納の箱に全部突っ込んでしまう人間でした。見える場所は綺麗に、隠れた場所は見ないふり。見える場所さえちゃんとしておけば良いという性格が丸見えな片づけ方をしていました(笑)

 

もちろん、そんな片付け方では瞬殺で散らかります。

 

見えない場所ほど綺麗に

中学で部活をはじめて、人が見ないところでいかにこだわるが試合の結果に直結することを学びました。勝負時のメンタルが違います。

 

高校生のときも、部活が終わって家に帰り、毎日マスコットバット(素振り用の木のバット)に重りをつけて素振りをしていました。その結果、引退試合で逆転ホームランを打つことができたというわけではないですが、物を握る力が異常に身に付き、高校3年生のときの体力測定では、握力測定で学年1番をとることができました。

 

見えないところでのこだわりが思わぬ結果につながることもあります。

 

とはいえ、もちろん見える場所をきちんとするというのは大事なことです。第一印象を覆すにはかなりの時間がかかると言われています。

 

スマホの中身も整理する

部屋を片付けると気持ちもスッキリします。スマホの中身も同じだと思います。今や毎日開くスマホ。部屋と同じで、アプリや写真フォルダーが整理されている方が、気持ちもスッキリするはずです。

 

しかしながら、撮りすぎた写真を消す作業は意外と時間を取られます。写真フォルダーを整理する労力を考えれば、撮りすぎないに越したことはありません。

 

おわりに

数日外カメ禁止にしてみた結果としては、本当に撮りたい写真があれば頑張って内カメで撮っちゃう(笑)

 

そして、iPhoneの音量ボタンでシャッター押せる機能がめちゃくちゃ便利ということに気がつきました。

 

とはいえ、外カメが使える時よりは、「本当に写真に残すべきか?」と少し考える時間を設けるようになりました。

 

大事な思い出は記憶にのこす。

 

スマホ(写真フォルダー)の中身まで整理する。

 

写真を撮りすぎないに越したことはありません。

 

ありだと思います。

 

外カメのないスマホ(笑)

 

【補足】QRコード問題

内カメ、QRコードが読めない……

 

 

(終)

スマホの外カメラは便利です。もしも一眼レフカメラを所有していなければ、外カメラ禁止は実践的ではないかなと思います。